皇族の役割再考の必要性 『創 (つくる) 2011年 08月号』

P28-29では皇族の被災地訪問について記されている。平成生まれの写メを撮っている話や、雅子さんに5分間説教した話など、マスメディアでは報じられていない裏側について語られている。その中で、この天皇の訪問をナショナリズムに結びついている意見を紹介した後の意見が興味深い。

P29 たしかにそういう側面もあるだろう。守旧派が天皇皇后への無礼な振る舞いをやめさせろと声をあげるような状態をも覚悟して皇族が被災者の中に入っていっている一連の行動は、象徴天皇制の歴史の中でもひとつの新しい意味を持ち得る可能性がある。日本の復興に、皇族がある種の役割を果たそうと決意している様子がうかがえるからだ。
新聞・テレビではもっぱら皇族の美談としてしか報じられない被災地訪問だが、本当はもう少しきちんと議論されてもよいテーマであるように思える。

頷いてしまう指摘だと思う。まず、皇室がこの震災において何らかの役割を担おうとしているように見えるというのは確かだが、それはどんな役割なんだろう。平成元年生まれの自分は、流石に写メを撮ろうとは思わないけど、皇族に会って泣いたりはしないし、他の人と比べて特別、皇族とそんなに話したいとは思わない。
「日本の象徴」=「天皇」と憲法ではなっているけど、実感はないし、「様」付けを続けるテレビにも違和感を覚える。戦争を知らない世代がドンドン増えているが、それは戦前の天皇制を知らない人が増えていくことに等しい。そんな中で天皇はどんな役割を担っていくのだろう。「象徴」という形で片付けることも可能なのかもしれないけど、とても違和感がある。
「象徴」として、その立場であるがゆえの行動を何かしているのか。と疑問があるし、その「象徴」としてふさわしい行動が「国事行為」であり、それのみであると言うことはムリがあるように私には思える。この震災で何か存在感を発揮したことは、これからの新しい象徴天皇と皇族を垣間見るものだったかもしれない。
けど、その深い所までは突き詰められていなかったようにも感じる。これをきっかけに、議論が起こるでもなく、忘れ去られてしまっている現状。なんか、残念。日本を考える際にも良いテーマだと思うけど。
1. 特捜は必要!?警察は正義!?
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-754.html
2. 皇族の役割再考の必要性
3. 原子炉の経済を覚えていないといけない
4. 報道を修正しないメディア
5. 丸岡修が死んでしまった
6. 「死」について

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。