通訳と社会

課題:「社会におけるコミュニケーション仲介者の役割やアイデンティティー」について、何らかの具体的な事象、史実、制度、状況等を取り上げ考察する 3200字
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「新聞記者のアイデンティティと役割の考察
~第二次世界大戦中の日本における新聞報道を通じて~」
 新聞記者のアイデンティティと役割について第二次世界大戦を取り上げた上で考察を行っていくのだが、大きく分けて3つのパートに分かれている。なぜ、新聞記者がどのような点でコミュニケーションの仲介者となるのか。という考察の前提となる部分に触れ、次に、新聞記者のアイデンティティと役割をジャーナリズムという概念を分析し、見ていく。最後に分析を基に第二次世界大戦時の新聞報道の際にそのアイデンティティと役割はどのようになったのかを考察する。
新聞記者がなぜ、コミュニケーションの仲介者となるのか
 コミュニケーションを対面で直接的に行うものであると定義した場合、新聞記者はコミュニケーションの仲介者にはならない。しかし、コミュニケーションをもっと大きな枠組み。例えば、2つの主体が交わると捉える場合には新聞記者はコミュニケーションの仲介者になる。それは、人と人を情報というツールを使用し、結びつけるからである。新聞記者は情報を集約し、選択、編集し、読者の元へ届ける役目を担っている。また、伝える出来事は基本的に人が行うことである(例外的に動物のニュースなどもあるが)。つまり、遠くにいる人と、新聞を読む人のコミュニケーションの仲介者となっている。情報を伝えるだけでコミュニケーションになるのか。また、一方的なコミュニケーションではないのか。という意見もあるだろうが、新聞では読者からの意見を政府へ伝えるプロセスも存在する。この点から必ずしも一方的なコミュニケーションとは言えない。また、一方的な情報伝達もコミュニケーションと考えることは不可能ではない。よって、新聞記者はコミュニケーションの仲介者といえるだろう。仲介者の役割の中で、情報の取捨選択や編集、場合によっては捏造という事件が起こり、その仲介プロセスにおいても様々な事象が発生することは注目に値する。
新聞記者のアイデンティティと役割
 新聞記者のアイデンティティと役割を分析する際に重要なのがジャーナリズムという概念である。ジャーナリズムとはマスメディア全般を扱う人が持つべきとされている心構えのようなものではなく、新聞記者に限った場合のジャーナリズムとする。このジャーナリズムという概念の定義のとして次のものが存在する。「ジャーナリズムのそもそもの目的は、市民の自由、そして自治に必要な情報を市民に提供することである。」 というものである。この指摘は定義というより、ジャーナリズムの役割とも言える。それは、市民の自由に必要な情報を提示するという点で、ジャーナリズムは決して権力=政治に従属してはならない 。という新聞記者の原則に重なるようにも考えられる。つまり、警察発表や政府の発表などをそのまま報じるのではなく、ジャーナリスト一人一人が自己で考え、集積した情報から取捨選択し、伝えるというのが新聞記者の役割という見方がある。しかし、もう一方の意見として「ジャーナリズムはつまるところ、たんに人びとの会話を伝え、増幅することを意味するのかもしれない。」 という意見もある。これは、新聞記者というのは遠くの情報をそのまま伝えるだけというマイクロフォンのような役割のみを保持するという考え方である。つまり、新聞記者の役割への意見は統一していなく、自己で考え、伝えるという役割と、情報をそのまま多くの人へ伝えるという役割という2つが存在する。2つの役割を前者は積極的役割、後者を消極的役割としてそれぞれの場合のアイデンティティをみる。積極的役割を持つ新聞記者では自分の考えをある程度影響させた上で伝えるという過程で、アイデンティティが形成される。つまり、その起こった事象に対する自分の意見が世の中へ発信されるということが記者自身のアイデンティティとなる。各大手新聞の社説を書く記者や国際問題に関して事実を記した後に意見を付け足すような記者がこれに該当する。対して、消極的役割を持つ新聞記者の場合、自分の考えを可能な限り排除し、記事を作成するため、積極的役割を持つ新聞記者のようなアイデンティティの形成はなされない。代わりに、どれだけ自分がそれぞれの情報を世に出したのか。ということにアイデンティティが形成される。積極的役割の場合には、記事を書く記者が記す意見によって差異化されるためそれほど世に出た順番に関しては大きな問題にならないが、消極的役割の場合には内容がほぼ押し並べて共通であるため、読者に届くスピードのみが差異化の対象となる。つまり、どの記者が最初に情報を記すのか。という点が重視され、早く情報を集めて記事を書くことによってアイデンティティが形成される。特ダネ競争などがその最たるものである。このように新聞記者といえども役割もアイデンティティのよりどころも異なるのである。しかし、80%のジャーナリストが読者に対して最大の責任があることをジャーナリズムの中心原則とする。 という趣旨の発言をしていることから、ほとんどの新聞記者が伝えるという行為自体にアイデンティティを持っているということが言える。
このようなさまざまな複数の形態の役割とアイデンティティが第二次世界大戦という限定的な状況時にどのような形になっていったのかをみていく。
第二次世界大戦時の新聞報道の際の役割とアイデンティティ
 第二次世界大戦時の日本の新聞は戦争の正当性を流布し、戦意高揚に加担、国民を戦争へと駆り立てた負の歴史を持つ 。この負の歴史はウソである大本営発表 の垂れ流しから生まれたとも言われている 。その背景としては開戦当初に関しては軍からの禁止事項の伝達により、記事の内容が制限され、現場は、真実を伝えられない悲壮感によって沈滞ムードになったが、時がたつにつれ、監視下の反戦的と思われた記者への憲兵による連行の横行による恐怖や知っていて知らないふりをすることによって記事の内容を新聞記者が自己規制を行ったのである 。それによって、軍が許す内容しか書かなかった新聞は戦争を突き進ませることに加担したと考えられる。この過程においては新聞記者の役割とアイデンティティが並行して変容したように考えられる。初期の新聞記者は収集した情報を考え、伝えるべきであるという情報を独自に伝えるという積極的な役割を果たしており、アイデンティティも事実を分析し、読者へ伝えるということによってアイデンティティを形成していた。しかしながら、伝えることが可能な情報を制限されてしまったことで、積極的役割から消極的役割に新聞記者が転換した。その積極的役割の原則としてのジャーナリズムは決して権力=政治に従属してはならないという原則は守ることができず(命の危険性もあったため仕方ない部分もあるが)流される情報をそのまま流すだけという役割になったのである。その際、伝える素早さは大本営発表の影響で差異化されず、アイデンティティはただ、国民へ情報を伝える。ということから形成したと考えられる。「伝えない」という選択肢もあったが、アイデンティティの喪失が起こることからそれも難しかっただろう。最後に、考察から新聞記者の役割とアイデンティティを鑑みると、この第二次世界大戦継続へ加担してしまった原因に、新聞記者が消極的役割のみしか果たさず、伝えることのみをしてしまったことにある。この場合、権力と国民の仲介者として、新聞記者は権力=政治に従属してはならないという原則を守り、新聞記者が団結して仲介者として積極的役割を果たすべきであった。また、現在であっても、ある程度、新聞記者は権力と国民の仲介者としてどちらかに極端に寄り添うのではなく、新聞記者として独立しているということにアイデンティティを保持し、積極的役割を果たすべきである。(3146字)
【参考文献】
ビル・コヴァッチ、トム・ローゼンスティール著 加藤岳文、斎藤邦泰訳 『ジャーナリズムの原則』日本経済評論社 2002
原寿雄「いま、ジャーナリストの条件とは」『職業としてのジャーナリスト』岩波書店 2005
宮城修「戦争報道とジャーナリズム―「沖縄戦新聞」に見る戦争報道の課題」『ジャーナリズムの仕事』早稲田大学出版部 2007
朝日新聞「新聞と戦争」取材班著『新聞と戦争』朝日新聞出版 2008

The following two tabs change content below.

小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。