テーマは莫大なお金を払えばどこでも開催するという形が好ましいのか。という問い~「F1 (エフワン) 速報 2011年 3/17号 [雑誌]」~

もう、開幕しているけど、今年のF1は開幕が2週間遅れた。それは、バーレーンでも国王に対するデモで反国王の声が大きくなったことによる開幕戦、バーレーンGPの中止が原因。3月13日の開幕が中止になり、開幕が3月24日のメルボルンGPに移った。そのことを特集に組んだF1速報。デモの概要と中止の経緯が記されており、その上で未来のF1を考える内容になっているのが良い。

P7 F1が開催国の政治国の政治的状況を考えたことなど、これまでほとんどなかった。アパルトヘイト(人種差別政策)がまかり通っていた時代の南アフリカでも定期的に開催されていたし、最近では報道を検閲する抑圧的な政治体制の中国を毎年訪れている。また、今年ブタペストでレースが開かれる時、現在のハンガリー政府がメディアを検閲している事実についてコメントする者は、少なくともF1関係者の中にはひとりもいないだろう。
F1を運営する立場の人々は、このスポーツのグローバリゼーションの一環としてバーレーンへ行くと主張する。だが、これは明らかにナンセンスである。経済的利益のために他ならないのだ。なぜなら、まずアメリカ合衆国を含まずしてグローバルと言うのは不可能であり、その一方で市場としては決して大きくない中東地域では、バーレーンとアブダビの2カ国を訪れているのだから。
F1も当然、ビジネスであることを否定するものではない。しかし、それだけで開催地を決めるような今のやり方では、いつかは綻びが出てしまう。今回のバーレーンGP中止という事象は、F1のあり方を根本的に見直す岐路に立ったことを意味しているのかもしれない。

これがこの号のテーマだと思う。莫大なお金を払えばどこでも開催するという形が好ましいのか。という問い。事実、バーレーンでもF1は国王のオモチャであり、一般国民はほとんど恩恵も受けず、見ることも出来ない存在だったから狙われた現実もある。

P37 バーレーンGP中止をきっかけに、ファンのみなさんも少しだけ意識した方がいいかもしれない。「何がなんでもF1だ」とF1に従属していれば我がニッポン国の富はあっけなく収奪されかねない。よく「F1ファンとレーシングファンは違う」と言われるが、こんな不名誉は返上してモーターレーシングファンとして国内外幅広い視野を意識しよう。

その通りである。昨日、中国GPが開催され、今年のF1も3戦を消化した。レースを見るのは確かに面白い。今年はオーバーテイクも増えているようにも見える。そして、バーレーンGP中止は忘れ去ろうとしているようにも感じてしまう。でも、それは決して良くない。バーレーンGP中止という、きれいに見えるF1の裂け目をそのままにしておくと裂け目は広がる。防ぐためには、対策を考え、対応を考えないといけない。バーレーンGPだけの問題だけではなく、F1全体の問題として。まあ、運営が圧倒的な力を持ち、商業主義に傾きすぎている今では仕方ないのかもしれないけど。そんなことを考えた。
いつもはレース速報のみだったけど、興味深い内容としっかりとした指摘に☆4つ。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。