もう、「ながら視聴」は終わった!~テレビの新聞化で~

 自分の専門の範囲から1つ。新聞とテレビの違いでよく言われること。「新聞は自分から読まないといけない(能動的な行為)。だから、読まない人は対象外。でも、テレビにおいて、視聴者は受動的になる。つまり、なんとなくつけてる。だから、新聞は高度な情報、テレビは大衆化している。そして、その中で働く人はそれぞれに合ったように新聞・テレビを作らないといけない。」
そんな時代もあったと思う。けど、今は違う。テレビも新聞的な要素をはらむようになってきた。つまり、テレビも能動的に見る対象になっているのでは?ということ。そんなのは、高度な学習をした人のみだ。と言う人がいるのは分かっている。「普通の人は、昔のようになにかをしながらもしくは無意識にテレビを見て、影響を受けている」と。でも、そんなことはないと思う。それは、以下の5つの理由から。
 1、他のメディアが出来た
 まず、よく言われる点。インターネット・携帯電話などが普及した。これからはタブレット端末も安価になり、様々な人が持つようになる。その事によって、少ない選択肢(ラジオ・テレビ・カセットなど)からテレビを選ぶ時代ではなくなった。これによって「テレビを見る」という選択を行うようになってきた。
 2、元々テレビって無意識に見るものではない
 テレビは無意識に見る。という主張がよくあるけど、本当にそうなのかということは私の昔からの疑問である。テレビは①なんとなく付けるという手順と②テレビ欄を見てから見たい番組を付ける。という手順がある。その2つの中で②は無意識ではなくて選んでテレビを見ている。例えば朝や夕方のニュースで月曜日は「ズームイン」で火曜日は「朝ズバ」なんてことはしない。「ズームイン」なら一週間そうだし。「朝ズバ」であってもそうだろう。確かにテレビを付けるという行為は受動的かもしれないが、その中で能動的な行為を行っているだろう。
 3、番組表・情報が簡単に手に入る
 これも大きな影響であり、新聞だけでなく、雑誌や携帯電話、ネットで簡単に番組表が手に入る。そのため、選択する際の手段が増えた。また、内容に関してもHPやツイッタ―などで情報を得ることが出来る。このことから、積極的に番組を選ぶようになっている。
 4、1人1人にテレビがある今
 昔は「一家に一台」だったテレビは「一人に一台」になりつつある。据え置きテレビだけでなく、携帯ワンセグなども利用し、チャンネルの取り合いではなく、それぞれが選んでテレビを見ることが出来るようになった。
 <strong5、時間がない
 昔と違って世界が目まぐるしく動くとともに、人間もいろいろな物の中で急かされて生きているようになっている。そのため、テレビを見るという行為もなんとなくではなく、自分で選択の上で行うようになっている。
 などなどの理由によってテレビは受動的なものではなく、能動的なものになっている。
テレビも「このチャンネルのこの番組」を見る為につけ、それが終わったら消し、他のメディアに興味を移すようになっている。これは、新聞を読もうと思って見るようにテレビも見ようと思って見る変化と言える。「テレビの新聞化現象」が生まれているように感じる。が、いかがだろうか。
で、テレビや新聞はどうなる?どうすべき?というのはまたの機会に書こうと思う。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。