安全地帯ではない場所に触れることの価値とイギリスの生活の現実『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』(ブレイディみかこ)

 

日本人の多くの人が日本の中で生きている。自分自身もトレーニーでタイに1年強住んだこと以外は日本に住んでいる。この国についていろんなことを思うこともあるし、本当に日本に住み続けていいのかとか、息苦しいと思えることもある。でも、基本的には日本人として日本で生きていくことは日本人として他の国で生きたりするより楽だと思える。

「親ガチャ」(どんな親に生まれるのか)という言葉から「国ガチャ」(どの国に生まれるのか)という言葉がちょっと前にバズっていたのだけど、多くの人がそこそこ安全にある程度のレベルで暮らせて、目に見える範囲では貧富の差を感じることが少ない国が日本なのだろう。もちろん、お金を稼ぐことが難しい人もいるのだけど、海外で見かける物乞いの人やスラムで厳しい衛生環境の中で生きている人を見かけるのが少ない。それは巧妙に隠されているのかもしれないけれど日本にいると気付くことが難しい。

世界ではそうでもない場もあることはうっすら知っている人が多いだろう。貧困について考えるときにはアフリカや東南アジアの発展途上国を最初に思い浮かべる人が多いかもしれないけど、日本よりも華やかで進んでいると思われることの多いヨーロッパのイギリスの現実を見てもこんな環境があるのだと思える。イギリス社会の中で日本人が生きることやイギリス人と日本人の子どもの男の子が思春期に感じることを読むのは自分の中の多様性を広げることにもなる。

どこかに属さないほうが自由?

タイトルの「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」は筆者であるイギリスのブライトンという土地でイギリス人と結婚して暮らす日本人の息子が日記に書いた言葉であり、日本人でもあり、イギリス人でもある中での生活について考えることにつながる。

日本に行けば『ガイジン』って言われるし、こっちでは『チンク』とか言われるから、僕はどっちにも属さない。だから、僕の方でもどこかに属している気持ちになれない

こんな言葉が息子から発せられることに対して「どこかに属さないほうが人は自由でいられる」と筆者は返すも、息子は「どこかに属している人は、属していない人のことをいじめたりする」と返す。多かれ少なかれ人はどこかに所属したくて、所属することで心の安心を保っていることが多いのだけど、排外的になることで心の安全を作り出していないかは慎重にならないといけないと改めて思わされる。

思春期にはいろんなことが起こる。様々な人がいる場所で生きると更に

本の内容は息子が地元でも裕福な人たちが通っている小学校からひょんなことから普通の人達からそんなにお金を持っていない人たちが通っている中学校に進学し、小学校では受けることはなかった言葉を受けることが増えた日常を丁寧に描いていく。

日本人に対する差別もあるのだけど黒人に対する差別もあって、筆者自身も中国人だと思われて話しかけられて一人っ子政策の国ではないと返していた黒人のお母さんとFGM(女性器切除)に関するささいなやり取りで地雷を踏んでしまった経験も出てきて、いろんな人が混じるやって生活していく中で起こる様々な摩擦を肌で感じることができる。同質的な人の中で生きていくことは楽なのかもしれないけど、世界はそうではない。

「でも、多様性っていいことなんでしょ? 学校でそう教わったけど?」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしてると、無知になるから」
とわたしが答えると、「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子が道端でレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだとわたしが言ったからだ。
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

日本の職場や生活圏で外国籍の人は増えてきている中でマジョリティだからといって自分の考え方の範囲の中で接することは摩擦を生んでしまう。そうならないための努力はしておいたほうがよいと思わされる。

子どもたちを見ていると世界は悪い方向に向かっていないと思える

ここまで書くと人と人の摩擦の怖さだったり、面倒くささが大きいと思われてしまうかもしれないけど、多様性の中で生活をすることが当たり前だからこそ教育現場で行われているシティズンシップ教育や多様性の中で息子がどのように周りの子どもたちと折り合いをつけているのかも描かれている。エンパシーや子どもの権利について中学生の子どもが語ることができる教育は自分の意見を言うことの準備が少ないと感じる日本の教育にも取り入れられてほしいと思わされる。

エンパシーとは誰かの感情・経験を分かち合うことであることを学ぶだけではなく、生活の中でこんなことがあったと言えるところまで昇華できるのは多様性の中で生活を送っているからこそできることなんだろう。そんな息子を見て筆者はこんなことを記している。

さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている。

多様性の大切さを感じるのはもちろんのことだけど、変化しながら生きている子どもを通して社会を見ることで、自分も変化の準備ができるのかもしれないと感じさせる。

イギリスに住むイギリス人と日本人のとある家庭の日常からイギリスの今だけでなく、日本の東京という”様々な人が住むようになってきている中でも同質的な圧力が強まっている社会”で生活をしている自分が気をつけないといけないことに気付かせてくれる。

【手に入れたきっかけ】

薦められていて気になったので

【オススメ度】

★★★★☆

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。