「偽りの当事者性」ではない「当事者性」とは何? 「ayumu_kohiyama」の9月1日のtwitterでコメントを付けたいもの

家でのんびりしつつ、夜は塾のバイトでした。本当に久しぶりに「いきなり!黄金伝説。」を少し見た。オードリーの春日さんが出るから!節約生活対決をしていたけど、上原美優さんを思い出して悲しくなった・・・

 

【「偽りの当事者性」ではない「当事者性」とは何?】

「ここに来て、以前私が言っていた『マスコミvsネット』論は撤回し、今後は『当事者性vsないものねだり論者』の新しい対立軸の論考へと移行することを宣言したいと思っています」

この対立軸は2項対立として描くことが出来るのか。という疑問もある。「当事者性を持つからこそ、ないものねだりを続けてしまう。」という論理も成り立つように思えるからである。

死刑についていろいろ考えるときに、当事者性についての難しさは何度も思った。「被害者の気持ちを考えると・・・」という言葉には当事者ではないのに、当事者になろうとする当事者性ということが出来る言葉がいつも働いているから。

自分の周りの人が殺されたわけではないのに、殺された人の気持ちになりきって語る。それは「偽りの当事者性」とも言える。

この佐々木氏の当事者性とは何を念頭に置いているのかを見続けたいと思う。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。