新日本プロレスの一時代を二人の稀有なレスラーから描き出す『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(柳澤 健)

棚橋弘至と中邑真輔という二人のプロレスラーが切磋琢磨をしながら、格闘技に押されたプロレスをなんとか支え続けて盛り返したという物語が今のプロレスファンの中では語られることがある。

なぜこの二人が新日本プロレスを支え続けたのか、どのようにして支え続けてきたのか、最終的に袂を分かつことになったのはなぜなのかが緻密な取材によって分析されていく。

長州力と藤波辰爾だったり、武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也の闘魂三銃士だったりと有名な選手はいたがアントニオ猪木が中心であった新日本プロレスの形を変えたのが棚橋弘至と中邑真輔だったのかもしれない。

二人がアントニオ猪木の時代を変えた方法が全く異なるアプローチであり「ストロングスタイル」と呼ばれる新日本プロレスを表すと呼ばれている考え方を違うやり方で壊していった。若くして天才と呼ばれ、団体の頂点のベルトである IWGP ヘビー級の王座を腕ひしぎ十字固めで奪った中邑真輔に対して遅れていると棚橋弘至は嫉妬し続けてきた。ずっと本当に思っていることしか口にしないと決めている棚橋弘至は共感をしてもらうためにも中邑真輔への嫉妬を発信してきた。

嫉妬と努力によって中邑真輔と並んで行くことになる棚橋弘至には新日本プロレスのレスラー達が追い求めてきたストロングスタイルと言う物を幻と言い切る。存在しないから復活できないということを語った上で「良い試合」を見せることでファンを増やしていくという地道な努力をし続けていった。棚橋弘至に追い抜かれた中邑真輔が雀鬼と呼ばれる桜井章一に教えを乞うて様々な努力をしている話もそんなストーリーがあるのかと驚く。笑うと口角が上がり首が下がり肩が下がることによって緊張が時計というのは中邑真輔がもう1度独自のスタイルを磨き上げる過程で出てきた動きにも反映されているのだと想像ができる。

2005年1月4日に初めての一騎打ちを東京ドームのメインイベントでやった棚橋弘至と中邑真輔は二人で新日本プロレスを盛り上げてゆく。色物だと思われ、「愛してまーす」と叫ぶことによって昔からのファンからはブーイングを浴び続けたが応援するファンも増えていく過程はプロレスを新しい世界に塗り替えていく過程のようにも映る。人気だけではなくとてつもなくひどい試合をした IWGP ヘビー級選手権試合を見て「IWGPが死んだ!」と言ったり、練習は新日本的に厳しく取り組むことで全日本クラスのタックルを裁くこともできる棚橋弘至というレスラーの努力も伝わってくる。武藤敬司は相手を光らせることがないというのもほどなーと思わせる。

コツコツしてきた努力の末に今まであった流血や遺恨が残る試合ではなく、 ハッピーエンドのプロレスを新日本プロレスに浸透していった棚橋弘至というレスラーのすごさがしみじみと。中邑真輔は新日本プロレスの中心となった棚橋弘至とは違う価値観を IWGP インターコンチネンタル王座という違ったベルトで築き上げて行った上で新日本プロレスを抜けてアメリカに渡った。うさぎとかめの関係だと最初にうさぎだったはずの中邑真輔が棚橋弘至に抜かれてそのまま沈んでいくと思いきや違ったうさぎに変化して違う山の頂上を制したストーリーのように読める。

今の新日本プロレスはこの二人の存在なくしては成立し得ないものであるからこそ、新日本プロレスファンだけでなく今のプロレスが好きな全員に読んでほしい二人のプロレスラーの物語だった。

【手に入れたきっかけ】

Kindle Unlimitedの対象になっており、気になったので

【オススメ度】

★★★★☆

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。
小檜山 歩
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。