それでは、オウムについて、第6弾。意味が分からない人は「電車の中で書きなぐった文」
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-359.htmlまで。
オウムをリアルに考えられていない社会に向けて、オウムをリアルに考えるということはこういうことなんじゃないの?という形で話していく。
① 構図のリアル
オウム事件はどのような構図なのか。その点について森達也さん(筆者)は
P94~95「検察のこの主張(麻原が中心となって行った最も凶悪)に対して弁護側は、起訴された十三の事件すべての背景に「弟子の暴走」が働いているとして、被告の全面無罪を主張した。
「史上最も凶悪」VS「全面無罪」。ありえないほどに相反している。結果としては弁護団の構築した弟子の暴走論は、麻原無罪という無理を通すための世迷いごととして社会からは激しい反発を受け、裁判所からは判決で一蹴された。つまり「史上最も凶悪」が勝利した。
確かに「弟子の暴走」だけを事件のメカニズムとする弁護側の主張には、僕も全面的な同意はできない。でも、どちらかを選べと言われたなら、オウム事件は「史上最も凶悪」で「組織的、計画的な凶悪犯罪」であり、麻原は「異常なまでに強烈な権勢欲と支配欲を満足させるだけのために」、「冷酷無情、卑劣極まりない犯行」を指揮したとの断定よりも、「背景には弟子の暴走が働いていた」 との記述の方が、はるかにリアリティがある」
としている。
こひやまはどちらでもあるし、どちらでもないと思う。「史上最も凶悪」VS「全面無罪」という二項対立は良くない。どちらの側面もあるんじゃないかな。だって、片方の要素のみという風には思えない。
そのうえで、こひやまは一人があんなに多くの人を殺すことは指示であっても難しいと思う。ヒトラー、昭和天皇、ポル・ポト、ルワンダ、毛沢東。みんな一人で行ったわけでない。だけど、オウムだけは一人になるのか?そうは思わない。だから、麻原氏が全て指示を出したとは思えない。それが、本当じゃないかな?
② 宗教のリアル
オウムを宗教とする事について
P124~125(オウムに関して)「「本来は人を救うはずの宗教が人を殺めるなどとんでもない。このことからもオウムは宗教でない事は明らかだ」と主張する識者や知識人は少なくなかった。この年に発売された週刊誌の対談でも司馬遼太郎が、
「僕はオウムの宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければならないと思っています。とにかく、史上稀なる人殺し集団である」
と前置きしながら、
「これを憎まなければ日本は二十一世紀まで生き延びることはできません」
とまで言いきっている
さらに司馬は、対談相手である立花隆から「日本史における「悪」の系譜を考えますと、麻原みたいな存在は他にいたんでしょうか」と訊かれ
「いないでしょう」
と即答している」
らしい。日本の表世界に認められ続けてきた司馬さんであってもこのような事は言う。でも、宗教は人を殺す。
筆者も
P125「「人を殺すならばそれは宗教ではない」とのレトリックはあまりに浅い」
とするように宗教でも人は殺す。9.11、宗教戦争、自爆テロ。。。きりがない。
オウムを宗教とすることは他の宗教の人からの反発が大きいんだろう。私たちの宗教は人を殺すなんてことはしない。宗教は悪くない。と言うだろう。でも、人を殺す可能性がある事も宗教の一つの側面であることは事実である。それが宗教なんじゃないのか?
③ 自分のリアル
「A3」を読んでいて心に残った箇所の中の一つ。引用したのでじっくり読んでほしい。
P81~82「(オウムの)施設前に集合して退去を要求する地域住民たちは、応対に出た荒木浩と施設に居住する3名の出家信者に、「本当におまえたちに危険性がないと言うなら、麻原彰晃の写真をこの場で踏んでみろ」と詰め寄った。
「写真を踏むことと私たちの危険性に関係があるのですか」
周囲をぎっしりと包囲する群衆に視線を送りながら、写真を踏めと言った年配の男性に、荒木は少しだけ昂揚した口調で質問した。あきれたように男性は即答する
「大ありだよ」
「どう関係があるのですか」
「踏めるのか踏めないのかどっちだ」
「・・・・私は誰の写真も踏めません」
荒木のこの言葉に、群衆から驚きと怒りの声があがる。「やっぱりこいつらは何も変わっていない」と嘆息する人もいれば、「とにかく早くここから出てゆけ」と怒鳴る人もいる。
最後に全員で「オウム真理教出て行け!」とのシュプレヒコールをくりかえしてから、住民たちはぞろぞろと帰途につく。ゲートがゆっくり内側から閉められる。雨はいつのまにかあがっていた。四人の信者は無言で顔を見合わせてから、とぼとぼ施設へと戻ってゆく。」
これが「A2」のラストショット(こひやまは「A2」を見てない・・・見たい!)らしい。どう思う?オウムはおかしいと、ほとんどの人が話す。でも、この会話どっちがおかしい?
人の写真を踏むのはイヤ。当たり前じゃないのか。
そして、人にはどんな宗教を信じる自由がある。当たり前じゃないのか。
人は可能な限りどこに住んでも良い。当たり前じゃないのか。
そんな普通の論理が通じない。
そして、オウムと自分達。
P80「テレビを筆頭する当時のマスメディアが、オウムを語る際に使ったレトリックは、結局のところ以下の二つに収斂する。
① 狂暴凶悪な殺人集団
② 麻原に洗脳されて正常な感情や判断能力を失ったロボットのような不気味な集団」
筆者も言っているが、オウムと自分たちが同じと認めることは社会から拒絶される。多くの人はオウムの人達と同じように日本という場所で教育を受け、生活をしてきた。でも、分断をしようとする。
ここで、1つの問いを出す。
「自分とオウムに入っていた人の違いは何か?」
こひやまは考えた。一応あった。こひやまあゆむという人間はここにしかいない。だから、違う。でも、それはしっかり答えていることにはならない。それならば、自分と両親は違う。弟、妹も違う。友達も違う。オウムも違う。だから、友達や家族はオウムになる可能性もある。サリンをまく可能性がある。自分以外という区別だけだから。そうなると、他の人から見ると自分もオウムになる可能性もあるのかもしれない。「オウム=こひやまあゆむ」が成立してもおかしくない。
オウムと自分を切り離すことは難しい。オウムを完全に異質なものとして、考えるより、自分の中にもあるものとして考えたほうがしっくりくるのは自分だけ?
今のところの予定は全部で12回
1. 電車の中で書きなぐった文
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-359.html
2. 麻原のA―麻原彰晃
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-363.html
3. ふりかえりの必要性
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-368.html
4. 制度は勝手に変わる。それっていいの?
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-377.html
5. 殺してしまう。でも。
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-382.html
6. オウムの中は?
7. ジャーナリストを江川紹子さんを通じて考える
8. 人前で自慰する人は普通?
9. 社会は・・・
10. どういう人が殺すのか
11. 水俣病
12. 森達也が言いたかったのではないか。ということ
森達也「A3」
http://www.amazon.co.jp/%EF%BC%A1%EF%BC%93%E3%80%90%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%91-%E6%A3%AE-%E9%81%94%E4%B9%9F/dp/4797671653
小檜山 歩
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