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“ほどほどの幸せをただ享受するだけのシステム”に飼いならされた人間は闘えるのか 「PSYCHO-PASS サイコパス」・第12話「Devil’s Crossroad」

【あらすじ・感想】

2013年1回目のPSYCHO-PASS。見るのが遅くなったが、相変わらず心を揺さぶってくる。大ボス槙島との1度目の直接対決の後。

物語は一度、3年前に遡る。シビラシステムが社会に馴染んでいく最中。

芸術家は公認と非公認に分けられ、レジスタンスもいた頃。執行官である六合塚 弥生(くにづか やよい)が公認芸術家から潜在犯、そして、執行官になっていった物語が語られる。

シビラという巨大なシステムが社会に入っていくことへ疑問に思う人がそれなりの数いた頃。

官僚とシビラシステムが支配する時代になっていく過程にあった摩擦。最終的には官僚とシビラの勝利となる。なぜなら、無関心な人が多かったから。

久しぶりに見て改めて思ったのは、このシステムが社会をコントロールする術として物凄く長けていること。ただ、槙島という存在はそのシステムで管理できる範疇を超えている。人を飼い慣らすシステムに慣れてしまった人間がシステムを超える力とどう闘うのか。システムの力を使えないなら個々の力が必要になる。ただ、システムに頼りきった人間にその力があるのか。

【社会に惹きつけて考える】

現実社会を考えてみる。ひとまず、日本にいる多くの人達はほどほどの幸せによって飼い慣らされている。

特に平成生まれの世代。それより上の世代が、今の若者の傾向として向上心がない、すぐに諦める、物事に興味を持たないなどを挙げる。そして、考える力が足りないとも。それは23才の自分も感じる。

どうでもいい。なんとかなる。考えるのが面倒くさい。同年代もそうだけど、下の世代になればなるほど、そういう言葉を聞く割合が高まる。それも当然。考えなくてもほどほどに生きてこれてきたから。そして、成長しない社会では頑張ってもあんまり意味が無いと思ってしまうから。

現実世界でも”ほどほどの幸せをただ享受するだけのシステム”によって考えない人たちが大量生産されているのかもしれない。それを当たり前だと思わず、危ういという気持ちを持たないとならない。

考えない人間たちは考えている人間たちの力によって搾取される。それでいいのか。”ほどほどの幸せをただ享受するだけのシステム”からどう脱出するのかはアニメを見ながら考えてみようと思う。

【内容メモ】

3年前に戻る。どこかのライブハウス。執行官・六合塚 弥生の物語。潜在犯の収容所で目覚める。色相浄化に努めましょう。執行官への打診。サイコパスがおしまいということなのか。

オープニングへ。曲が変わった。

#12「Devil’s Crossroad」。シビラシステム。職業適性検査。購入申請が通らない。音楽をやりたい。監視官時代の狡噛。

佐々山も登場。芸術活動をすると、シビラが曇りやすい。

「芸術は薬にもなるし、毒にもなる。」

若い宜野座も登場。非公認・公認の差。北沢のイベントスペース。

「人間はどんな苛烈な状況でもそこに身を置き続ければ、全てを日常として呑み込んでしまう。」

ドミネーターは奪う側の力。

「シビラのいいなりに盲目になり人を殺すファシストめ!」

執行対象外。シビラに音楽活動の芽を摘まれた。久しぶりの再開、シビラを打倒するレジスタンスを目指す。

「今の社会がどれだけおかしいか。形ばかりの選挙、おかざりの政治家、官僚がみんなシビラシステムに選ばれている以上、民主主義なんて嘘っぱち。人はみな、シビラのいいなりの奴隷になってそのことに誰も気付いていない。」

「音楽はみんなの心を動かす!」、「そんなことじゃない!」。「ただ、楽しいだけじゃ何にもならない。力がなければなんの意味もない。」

撃てないドミネーター。行かれてしまう。「執行官になる。」。エンディングも曲が変わった。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。