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ブックガイドではなく、個別の本と「本」に関する内田樹の語り 『街場の読書論』(内田 樹)【本】

 

哲学者としてだけでなく、文章を書く学者としても有名な内田樹による本にまつわるお話たち。本にまつわるといいながらも、本にまつわらないお話もたくさん。

ブックガイドではなく、個別の本と「本」に関する内田樹の語り

タイトルから内田樹がオススメ本の紹介をしてくれるかと思ったらいい意味で裏切られた。

たくさんの本は出てくるんだけど、内容に触れられることは少なく、出てくる本の中で語られている内容と本を書くことや著作権に関する持論を展開している。

書物は商品ではない、JASRACは自らの首を絞めている、文章を書くときはワックスをひたすらかけていく、速報性とインサイダー情報だけを重視する書き手への警鐘など、頭のどこかにひっかかることが読んでいてどこかひっかかる文体で記されている。

「嫌なものは嫌」と言える力と一刀両断

「おばさん」的知性を代表する人物として私がまず思い浮かべるのは内田百閒先生である。先生は芸術院会員に推されたとき、「いやだ」と答え、理由を問われて「いやなものはいやだ」と言われた。これこそ「おばさん」の骨法

何かに対して批判をする時にははっきりとした理由がないといけない。

本当にそうなのか。

理由がなくても批判できることの大切さが語られる。

なんだか分からないけどなんか嫌だと物事に言ってみることってけっこう大切。不用意になんでも批判するのではなく、虫の知らせとか嫌な予感がするとかを今までの経験から感じて言葉や行動に変えることって説明がはっきり出来ないことを相手に伝えることだから大変だろうけど大切なこと。

もう1つの「一刀両断」ってのは近ごろ、意見に対してばっさり批判をして溜飲を下げるような風調が高まっていることへの疑問。

特に政治を中心とする社会の分野で進んでいるっぽい。右か左かではなくて、その間でいろんな事を考える大切さを改めて考えてみてもいいのかもしれない。

レヴィ=ストロースとレヴィナス

内田樹が研究対象としているこの2人の哲学者の名前が頻繁に出てくる。文章は難解らしい。若い頃に最初に読んだときには理解できないけど、社会性のある人生を重ねると理解できるような風変わりなテキストだとか。

そんな事言われたら気になるじゃないですか。

 

【引用】

国家というのは成立したはじめから公共的であるのではなく、その存続のために「瘠我慢」をする人間が出てきたときにはじめて公共的なものに「繰り上がる」。国家は即自的に公共的であるのではない。私事としての国家のために、身銭を切る個人が出てきたときに公共的なものになる

「学力」という言葉をよく見てください。訓読みをしたら「学ぶ力」になります。わたしは学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない

「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主張しているが、そのワーディングをお借りすれば「有害な表現が有害なのではない、有害な人間が有害なのだ」ということ

マンガやアニメや小説が自存的に「有害」であるということは(残念ながら)不可能なのである。間違いなく、有害性というのは人間を媒介とすることによってしか物質化しない。だとすれば「有害表現」は「人間が有害な行為を遂行するように仕向ける表現」以外での定義を受け付けない。では、どのような表現が「人間を有害な行為の遂行に導く」のか。つまりどのような表現が「ほんとうに有害」なのか。これについては定説がない

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。