総合職共働き人事コンサルのブログ

2011年、小檜山歩の心に残った5つの文章

もう、2012年ですが、続けていきます!
音楽、本、文章、映像、テレビ番組の5つで2011年、心に残ったものをまとめる。
次は文章!そのまま読んでみて下さい。
1. 言葉についての良文・嶽本 野ばら「ロリヰタ。 (新潮文庫)」より(4月19日のブログより)・自分の中では一番です!

P154-157 「言葉なんて、思ったことの全部が、伝わらなくて当然なんだよ」
僕はその台詞に思わず、落としていた頭を上げ、僕の横に立つ君の顔を見詰めました。君は静かにいいました。
「私は、話すのが苦手で、それを治さなきゃと思って、一生懸命、自分が話すのが苦手な訳を、考えたの。モデルのお仕事をやる少し前くらいに。そしたら、解ったの。私は、自分の考えていること、思っていることを、相手に全部、ちゃんと伝えようとするから、話せなくなるんだって。気持ちって、言葉なんかじゃ、半分も伝わらないの。言葉ってそういうものなんだって思ったら、急に、楽になったの。相変わらず、お話するのは下手だけど、上手くなったって、どうせ全部、思ってることを伝えることなんて出来ないんだからと考えるようにしてからは、少しは人とちゃんとお話が出来るようになったよ」
「でも僕は作家で、言葉を使って全てを伝えなければならない仕事をしているんだ。僕は言葉を取ってしまったら、何も残らない」
「そんなこと、ない。だって、王子たまと、私はちゃんとお話が出来ているじゃない。私はまだ小学生だし、言葉を、大人で作家の王子たまより、とてもとても知らないの。だから王子たまが喋ることの中に、解らない言葉、一杯あるよ。メールなんか、読めない漢字が一杯あって、困るよ。でも王子たまが何をいおうとしているのかはちゃんと解るし、気持ち、伝わってるよ。もし、言葉だけで気持ち、全部、相手に伝えられるんだったら、メールの遣り取りだけで、満足出来ると思う。でも、いくらずっとメールし合っていても、直接、お話ししたくなるでしょ。それは、言葉が気持ちを伝えるんじゃなくて、気持ちを言葉が伝える為に、あるからだと思うの。――何か、自分でいってて、こんがらがってきたけど、いってること、王子たま、解る?」
「解る――」
僕は深く頷きました。
「お話の内容なんて、本当はどうでもいいの。お話ししているってことが、大切なの。一緒にお話ししているってことが、気持ちを伝えるってことなの。だから逢いたくなるの。Eホテルのお部屋で初めてずっと一緒にいた時、ずっとババ抜きして、お話しなんてしないで、寝ちゃったでしょ。私、スゴク愉しかったよ。お話なんてしなくても、王子たまのこと、どんどん好きになって、王子たまの気持ちに自分の気持ちが近付いていくの、感じてたよ。何かを伝える為に言葉はあるけど、でも言葉だけじゃ気持ちは少ししか伝えられなくて、だから好きになると、手を絡いだり、抱き締め合ったり、キスしたりしたくなるんだと、思う」
そうです。何を伝えるかが問題ではなかったのです。伝える内容よりも、伝えようとすることが重要なのです。拙い言葉でもいい。誤解を受ける言葉でもいい、伝えようとする必死さこそが想いを運んでくれるのです。君が寄越した最後の絵文字だけのメール。病院と破れたハートと爆弾のアイコン。それは幾千の選りすぐられた言葉より、僕の胸に突き刺さった。ヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった」と世界の始まりを語ります。が、それは間違っているのです。初めに想いがあり、それを伝える為にきっと、言葉は生まれたのです。

2. 読売新聞の記事で、重く、心が入っている文章(3月20日のブログより)

夫の荷物の中に指輪があった。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。
 その夫は今、遺体安置所で眠っている。東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた宮城県気仙沼市。同市本吉町寺谷、主婦大原枝里子さん(33)は、夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
 11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成(よしなり)さん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。
 海に向かう形になるが、頑丈な小学校の校舎を目指した。20分もたったろうか。逃げる車で渋滞し、少しも進まない。「もうぶつかっても仕方ない」。意を決して対向車線にバックで車を出し、アクセルを思い切り踏んだ。眼前に津波が迫り、2台前の車が濁流にのまれた。助手席と後部座席には長女、里桜(りお)ちゃん(2)と次女、里愛(りあ)ちゃん(5か月)。2人を守ろうと必死で約50メートル後進し、何とか助かった。
 海から離れた避難所に行くことにし、その日は車中でガソリン節約のため暖房なしで夜を明かした。翌日から避難所で苦しい生活が待っていた。子供の服におしっこやよだれが付いても、乾くのを待つしかない。地震で哺乳瓶は全て割れ、避難所にあった哺乳瓶を他の家庭と共有した。ストレスで母乳が出ない。スポーツ飲料をお湯で薄めて与えても、里愛ちゃんはなかなか受け付けず、脱水症状になりかけた。お尻ふきがなくなり、里愛ちゃんのお尻はかぶれて血が出始めた。
 夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。
 避難生活が長期化し、子育てはますます大変になっている。この状態がいつまで続くか分からない。でも、指輪を残してくれた夫に約束した。「この子たちは私が責任を持って育てるから」(佐脇俊之)

3. 森田芳光監督の告別式での黒木瞳さんの弔辞全文(12月25日のブログより)

「初めて森田監督とお会いしました時、私は『この役は私でいいんですか?』と尋ねましたね。森田監督は、『あなたがいいんです!あなたじゃなきゃ駄目なんです!』とおっしゃいました。私は真っ直ぐな監督の瞳を見て、『私の女優人生をこの監督にかけてみよう』と思ったのを昨日のことのように覚えています。いつでも迷わず答えを出し、迷う私を難なく導いてくれました。斬新で大胆な画づくり。細部にまでこだわる執念。エネルギッシュであり、アドベンチャーであり、保守的な方でもありました。芝居をさせない芝居や情熱的な芝居を求められ、いつも憎い演出でした。クリスマスイブにこんな悲しみのプレゼントを持ってくるサンタクロースなんて、最後まで憎い演出ですね。どんな憎い演出でも立ち向かいますから。どうか監督、今日の日は映画のワンシーンだとおっしゃってください。撮影所の裏に私を呼び出して叱ったことも水に流しますから。どうぞ戻ってください。叶わぬことでしょうね。監督は無念でしょうね。今日は泣かせてください。映画館のお客様のためにではなく、あなたのために泣かせてください。偉大なる森田芳光監督と2作品もご一緒させていただいたことを誇りに思います」

4. マキタスポーツさんが行った10年目の結婚式でマキタスポーツさんが読んだ手紙(7月15日のブログより)

のぞみへ
10年前、結婚式を挙げられなくてごめんなさい。なんとなく始まってしまった結婚生活だけど、いろいろ大変な思いをさせたね。まだ10年なのか、もう10年なのか分からないけど、日々、刻一刻とこなす毎日が、実は本当に大切でかけがえのないものだと思っています。
ところで皆さん、結婚10年目で初めての結婚式を挙げることは実はこれからの人たちにおすすめしたい方法かもしれません。契約更新をするように、今ここで、あと10年、一緒に居られるか見直すのです
(中略)
思えばこの10年の我々の歴史は、マキタスポーツの将来を信じたあなたの才能に報うための10年だったと思うのです
(中略)
あなたは心を病み、体を痛め、悲しみに耐えた。あとは売れるしかないというけれど、本心を言えばあなたの信用を得るための月日だったのかもしれません。
我々芸人はともすれば一番身近にいる人を一番幸せにできない矛盾を抱えています。そして、それを言い訳にしがちでもあります。誰かの笑顔が欲しくて、あなたの笑顔がなくなるのなら、それは僕が目指した笑いではない。だって、誰からもほめられる芸人で居たかったはずだったんだもん。のぞみ、俺売れるよ。幸せにするよ。売れる曲が出来たからその印税で幸せにするよ。大丈夫。Jポップを研究したら、「つばさ」、「さくら」、「とびら」、「きせき」というワードを入れときゃー、売れるって分かったから。不安?だから、大丈夫。少なくてもここに来てくれた人達は絶対、一人五枚はCD買ってくれるよ。

5. 「わたしの3・11 あの日から始まる今日」・加藤千恵さんのパートから(5月26日のブログより)

P112-113 わたしはあまりにも弱いし無力だった。
自分が何もできない、と気づいてからずっと苦しかった。わずかばかりの寄付、大規模停電が起きないための節電、なるべく普段どおりの消費活動。自分ができることは、あまりにもささやかで、無に等しかった。
震災のことを思っては泣いていた。映像に衝撃を受け過ぎて、一時期はニュースを見ないようにした。見続けたらきっとおかしくなってしまうと思った。わたしが泣いたって誰かの悲しみは減らない。わたしがおかしくなったって誰かが健康になれるわけじゃない。健康でいなきゃいけないと思った。
今も何も変わっていない。わたしは何もできないままだ。
ただ書いているし、書こうとしている。何も出来ないわたしは、自分のできることを必死でやるしかないのだと思うからだ。
無知で無力なわたしは、それでもまだ多くのものを信じている。人の力を信じている。絶対に未来は明るいと信じている。何も失っていないわたしがこんなことを言ったところで、誰の救いにもならないだろう。こんなのは綺麗ごとで、あまっちょろい単なる言葉だ。どこかで誰かを傷つけてしますのかもしれない。
頑張りましょう、とも、頑張ってください、とも言えないし思えない。わたしは頑張りたい。

思うことがあったり、良いと思ったり、反論があったり、おかしいと思うことがあったり、質問があったり、言いたいことがあったり、
同意があったりしたら反応をして頂けると幸いです。なるべくというより出来る限り私も反応します。
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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。