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罪を償うことは出来ない。でも、背負っていくことが出来る、ということが大切 「ayumu_kohiyama」の1月22日のtwitterでコメントを付けたいもの

1月22日
やっぱり、こういうのが大切な人だなぁ。と改めて思う。これからも大切にしていこう!足は疲れたけど、いい一日。最近、いい感じになっている。感謝しないとなぁ。
【罪を償うことは出来ない。でも、背負っていくことが出来る、ということが大切】

罪を償うって何だろう。どうなったら罪を償ったことになるんだろう。日本では懲役刑や死刑などが刑罰としてあり、罰金とかもある。そして、被害者に謝ったり、被害者の家族に謝ったり、殺人とかを犯した時じゃなくても、日常生活でやったことは「ちゃんと償いなさい!」と言われることもある。どうすれば「償う」ことになるのか。
「死をもって償う」という言葉がある。「償えない罪はない」なら、今のところ、「罪を償う」“最も重い”刑である「死刑」で罪を償うことが出来るのか。“最も重い”刑なら、全ての罪を償えると考えてもおかしくはない。
でも、本当にそうなのか。と考えてしまう。
辞書的な意味では、「何かしらで埋め合わせをする」という言葉が並ぶ。
ここで、考えた。行なったことの埋め合わせをすることなど、本当に出来るのか。
「償った」・「償っていない」というものより、自分の行なった行為を背負い、背負いながら自らの行為について語ることしか出来ないのではないか。
罪を償うことは出来ない。でも、背負っていくことが出来る、ということが大切。
というのが、私の考えなのだが、いかがだろうか。
思うことがあったり、良いと思ったり、反論があったり、おかしいと思うことがあったり、質問があったり、言いたいことがあったり、同意があったりしたら反応をして頂けると幸いです。なるべくというより出来る限り私も反応します。
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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。