総合職共働き人事コンサルのブログ

果たして、人は体罰だけで死を選ぶのだろうか。(桜宮高校体罰問題を考える・その1)

アルジェリアの人質事件で少し収まったが、1週間ほど話題になっている桜宮高校バスケットボール部キャプテンの自殺から騒がれている体罰問題について考えてみようと思う。その1。体罰が自殺を生んだと考えていいのか。

正直、結構仕事で忙しく、この問題にあまり興味をもっていなかった自分に考えるきっかけをくれたある人には感謝する。考えれば考えるほど、正直、体罰だけが自殺を生んだと思えないのである。

本題に入る。体罰問題の概要は下記のまとめが参考になる。

さらに明らかになる実態、桜宮高校体罰問題を振り返る-Naverまとめ

http://matome.naver.jp/odai/2135777529044200101

流れとしては、

1、親や生徒自身から体罰をやめるように依頼されていたにも関わらず、部活動の教師は体罰を続行

2、激しい体罰が原因(?)で生徒が自殺

3-1、橋下市長が教職員の総入れ替えや学部の廃止などを検討しており、議論が進む

3-2、その他の学校での体罰の実態も明らかになり、体罰自体の議論が大きくなっている

今、この(3-1と3-2)あたりだろうか。

考えるきっかけをくれた人の問題提起は「これを体罰の問題として語ることで終わらせてしまっていいのか」ということ。その先の議論についてはあまり出来なかったので、省く。ただ、書いていく事とほぼほぼ重なっているかもしれない。

学校で行われる体罰は自分も含めて、それなりの人数が経験しているので、体験に惹きつけて考えてみたい。体罰を受けたのは、2回。小学校6年生の時の理科の実験中と、中学1年生の時の野球部の練習中。

張り手とバットでの殴りを一発ずつ。今、23歳である自分の世代では多いほうかもしれない。痛かったけど、やり返そうとも思わなかったし、死にたいとも思わなかった。

ただ、その体罰がものすごーくエスカレートしたことによって、自殺が起こった。だから、体罰が悪い、と話を進めて完結させていいのか。問題の本質はそこではないと思う。

直接的で物理的な攻撃だけで人は自ら死を選ぶとは思えないのだ。

想像してみて欲しい。あなたの周りに毎日のように殴ってくる人がいる。理由もなく。それが毎日も続く。その場所からは逃げられない。

そんな状況だったらどうする?

どうにかしてその場から逃げるだろう。ただ、今回の場合、逃げられない理由があったように映る、それが本質で考えないといけないことなんじゃないだろうか。

ここで言いたいことは、人は暴力だけでは自ら死を選ばない。暴力で死ぬとすればそれは暴力自体がエスカレートして物理的に殺されてしまった時だけじゃないかということ。

体罰という行為のみにフォーカスを当てるのではいけないと思うのです。じゃあ、何にフォーカスを当てないといけないのかということについては、また、書かせてもらう。

暴力だけでない、自殺を引き起こした何らかについて、少し考えてみたい。何があるからこの死が生まれてしまったのか、根本的な原因は何かをあと2回に分けて書いてみようと思う。

少し、1つのテーマにフォーカスして考えてみようと思いますので、お付き合いして頂ければ幸いです。

The following two tabs change content below.

小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。