震災後初めてこのことについて書きます。いろいろ書いていたからですね。
それでは、オウムについて、第9弾。意味が分からない人は「電車の中で書きなぐった文」
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-359.htmlまで。
オウムと社会の今を考える。引用がページをいったりきたりするけど、意図的なものです。オウムの時にメディアはどうだったか。まず、筆者が考えるメディアとオウムへの関心の低下について。
P367「メディアは民意の鏡像だ。とても冷徹な市場原理に晒されている。もしもジャーナリスティックな示唆を含んだ事実が新たに発見されたとしても、それを知ることに世相が興味を示さないのなら、それはもう商品価値を持たない。ブランドや多くの貴金属の価値は、これを求める人がいるから保証される。求める人がいないならば価値などない。つまりオウムや麻原についての情報を市場が求めないのなら、商業メディアでは扱わない。
地下鉄サリン事件が起きてしばらくの期間、メディアにとってオウムと麻原は、圧倒的なキラーコンテンツであり続けた。番組のタイトルにオウムの三文字がついただけで高い視聴率が約束される時期は、しばらくのあいだ続いていた。メロンとバナナのどちらかが麻原の好物なのかを巡って、ワイドショーで特集が放送されていた時代だった。
急激な関心の低下も、やっぱりどうかしている。どっちにせよどうかしている。つまり程良くない。多すぎるか少なすぎる。この国はいつもこうだ。船が左舷に傾けば右舷に集団が押し寄せる。また右舷に傾けば左舷に押し寄せる。結果としていつまでも揺れている。そして揺れる理由がわからない。」
そして、オウムが最高潮に達していたときの報道についてこう記す。
P408「オウム事件の報道は圧倒的な物量だった。地下鉄サリン事件が起きた1995年にテレビのワイドショーがオウム関連の話題を報じた時間の総計を、TBS『ブロードキャスター』「お父さんのためのワイドショー講座」は1272時間19分5秒(普通の報道番組や特番は除いている)と集計した。2位の阪神淡路大震災の126時間8分53秒とは10倍以上の差が開いている。突出して圧倒的な報道量だ。もちろんこの記録は今も破られていない。
初期の報道において、デマや誤報が氾濫することは、多くの事件に共通する。ところが、オウムの場合、情報の流通や消費が桁違いに多すぎた。さらには結局はきちんと整理や訂正や回収をされないままに、急激に表層的な風化を進めてしまった。喩えれば深い傷を負ってさんざん指を使って抉っておきながら、表面には堅固なかさぶたができたようなものだ。内部ではぐじゅぐじゅに可能した不安や恐怖が凝縮して、腐敗臭がたちこめている。」
ここから2つのことを思う。熱しやすく、冷めやすい。それも空気に流され、自分が本当に興味があるのか分からないこと。そして、大切なことは考えないこと。面白さも大切。でも、それだけ。もっと考えないといけないことを無視していった。そして、関心は物凄く下がった。そして、社会は危機意識だけが残った。
そして、社会における危機意識についてこうも書いている。
P416「「特別な警戒が必要な状況がずっと続いている」と、いつのまにか思い込んでいる。でもそれは事実ではない。日本における犯罪は、もう何十年も前から少し続けている。特に殺人事件の発生件数は1954年をピークにして、最近は毎年のように戦後最小を更新している(2009年度の殺人事件認知件数は1097件で戦後最小を記録した)
ところが多くの人はこれを知らない。メディアが積極的には報じないからだ。なぜ報じないかといえば、危機を煽ることが視聴率や部数に直結することに、地下鉄サリン事件以降のメディアは気づいた(あるいは実感した)からだ。もちろんその傾向は以前からあった。でもメディアのこの市場原理が、オウム以降は剥きだしになった。」
商業主義は大切。でも、自らをかえりみることをしなくなっている現状が怖い。自分たちは正しいと思って報道を続ける。これって正しい、日本を良くすると言ってサリンを撒いたのと大して変わらないじゃないか。無自覚な正義ほど怖いものはない。その危機意識の中、社会はプライバシーに過剰に反応するようになった。危険なものは取り除かれ、無菌状態を進めていく。その力がどこからか発せられている。受け止めている自分たちは望んで受け入れている。
P418「監視カメラは街のいたるところに設置され、「テロ警戒中」や「不審者を見逃すな」などの掲示がそこかしこに貼られている。2003年末に全国で約3000だった防犯ボランティア団体の数は、2009年末には約4万3千に増殖した。おそらくこれからはもっと増えるだろう。日本中の小中学校の校門はオートロックとなり、GPS付きのランドセルを持たされた子供たちは下校時の寄り道すら許されない」
こんな息苦しい世の中になってしまう。お互いがお互いを監視する。社会主義の密告のように。お互いを信用しなくなる社会。見知らぬ人にはあいさつをせず、通報するようになる。こんな社会にしたくない。この世には、怖いし、痛いけど、刺激的なものがある。その刺激に触れる機会を減らすことは、もったいない社会になっていくを手助けしてしまう。有害な社会のほうが無害な社会よりもおもろいし、自分は生きていきたい。
だから、今の社会の流れは怖いし、反対だ。監視カメラもケータイの有害サイトフィルタもGPS付きのランドセルもいらない。危ない遊具も欲しいし、寄り道も、深夜の公園で遊ぶのもいいじゃないか。楽しいし、本当の思い出になる。作られた思い出しかない社会は嫌だ。
半月ぐらい前にこんなことを書いていた。社会の監視社会化はこの震災で少し緩んだかもしれない。恐怖によって人々は温かみを求め、つながるようになる。こひやま家のおばあちゃんに友達が来る頻度がいつも以上に増えたように。でも、マスコミの商業主義はどうなのか。NHKと民法を比べるものを多く目にするけど、確かに報道のやり方は違うのがはっきりしてきている。その中でもドラマチックに伝えようとする局と淡々と伝えようとする局に分かれている。どっちが報道、というよりも放送倫理があるのかははっきりしている。言うまでもない。
今のところの予定は全部で12回
1. 電車の中で書きなぐった文
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-359.html
2. 麻原のA―麻原彰晃
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-363.html
3. ふりかえりの必要性
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-368.html
4. 制度は勝手に変わる。それっていいの?
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-377.html
5. 殺してしまう。でも。
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-382.html
6. オウムの中は?
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-category-36.html
7. オウムに関するジャーナリズムについて江川紹子さんを通じて考える
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-412.html
8. 人前で自慰する人は普通?
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-433.html
9. 社会は・・・
10. どういう人が殺すのか
11. 水俣病
12. 森達也が言いたかったのではないか。ということ
小檜山 歩
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