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スブレニツァ・ジェノサイドと国際社会の対応

今日、ICUで難民を助ける会の理事長の長 有紀枝さんの講演を受けてきました^^
この方は1992年ぐらいから難民を助ける会で実務を行っていたようです。
そして、ユーゴ紛争中の現地にいた方です。
1991~1995年のユーゴ紛争内の
1995年に起こったスブレニツァで起こったジェノサイドについてでした。
講演会を聞いただけで調べてないので正確性は微妙です。
【概要】
1995年にユーゴスラビア内のスブレニツァにおいて
ムスリム(ボスニア人)の7500人の男性が虐殺されました。
このスレブニツァという街は飛び地であり、
周りをセルビア人の町に囲まれた町でした。
この町でセルビア人軍隊などがボスニア人を大量虐殺されたのです。
この事件はICTY(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)において
初めて集団殺害の罪として認定されたものです。
【分析】
1、正義と和平は必ずしも一致しない
この言葉がかなり印象に残りました。
戦争が終わった後にジェノサイドなどの残虐な罪を犯した軍人がいます。
しかし、その対象の人がその地域で有力な人であった場合、裁いていいのでしょうか?
裁いて死刑やその人物不在の状況を招いた際にその地域の安定が崩れる可能性があります。
正義の名のもとで裁いた結果がその地域の和平を崩す原因になりかねない。
このジレンマをどうしたら解消できるのだろうか?
2、UNにとっては公平でも当事者にとっては不公平
UNの介入は中立でなければならないというものがあります。
しかし、当事者にとっては中立でない場合がほとんどです。
なぜなら、介入は弱い側を助けがちであり、強い側から見ればそれは不公平であります。
その上、戦局が50:50なんという状況はないと考えます。
なので、まず、公平な介入ってなんでしょう?
3、関係ないと思った瞬間にすべてが終わる
これは、一番考えさせられました。心のスイッチを入れておく
との話もあるようです。
介入をし、このケースでも(ルワンダも同じく)、欧米の世論によって消極的な動きがおこり、ジェノサイドを止められなかった事例でした。
この世論を動かしているのは誰でしょうか?私を含む自分たちです。間接的に私たちがジェノサイドを止められない原因があると思います。
もし、自衛隊の隊員が殺されてしまったら、世論はやはりその場からの撤退を叫ぶのでしょうか?
日本人は殺されてはいけなくて、現地の人々は見殺しにされていいのでしょうか?
確かに日本人的にそのような見方が教育で形成されているかもしれません。
教育にはかなりの力がかかってるので。しかし、
その自分を問い直し考えるべきなのかと思います。
【まとめ】
最後に人道への4つの敵の話になりました。
赤十字の方?が言った話らしいのですが、
1、無関心
2、無理解
3、自己中心的な考え・認識不足
4、想像力の欠如

の4つとの話です。
自分が大丈夫か問い直したいと思います。
長くなりましたが。。。
では!
ちなみに、以下が参考の文献らしいです!
スレブレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察 長 有紀枝
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%84%E3%82%A1%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E8%80%83%E5%AF%9F-%E9%95%B7-%E6%9C%89%E7%B4%80%E6%9E%9D/dp/4887138857
欲しいけど、高い。。。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。