総合職共働き人事コンサルのブログ

こんな無責任な自分は国際問題を語る資格があるのか、と考えさせられた 悲惨な国際問題を語ることについて

【ポイント】
1,悲惨な子ども兵についての講演会に参加してきました
2,4年前も今もただ、議論しているだけの自分。進歩してないんじゃないか
3,自分に直接ある程度の危害が加わっていない問題を考える時は、罪悪感を持って議論する必要があるんじゃないか

4年前とほとんど自分が進歩していないとしたら、どうでしょう。
悲しくなるし、そんなことは認めない人も居るかもしるかもしれません。でも、今日、4 年間自分は進歩していないのかもしれない、と思ってしまった。結局、4年間、ほとんど何もしていない自分に気付いたのです。
今日、子ども兵についての講演会に参加してきました。下村靖樹さんという中央アフリカの紛争を取材しているフリージャーナリストの講演会で、ワークショップ含まれていた。講演では、地雷で脚をなくした人や鼻や口、耳を削ぎ落とされた子どもの写真などが出てきた。そして、下村さんの口からも厳しい言葉が出てくる。「人類なんて滅びしてまえばいいと思った」とか、「紛争はなくならない」とか「目が死んでいる、死んだ魚のような子供たちの目があった」とか。そして、その問題について、グループで語る機会があり、いろんな話をしたけど、話しながら思ったことがある。
4年前と自分は成長していないかもしれない。自分に国際問題を語る資格はあるのか。などということ。
大学に入学して、最初に見た映画が「ブラッド・ダイヤモンド」という子ども兵のことも扱った映画で、この映画はいろんな場所で4年間で計3回は見た。そして、子ども兵についてディスカッションしていました。1年生の4月に。そして、4年の2月になっても同じ事をしている。子ども兵の問題は自分に直接関わらない形で変わっている部分も変わっていない部分もあり、今でも問題として残っている。その問題に自分は何も出来ていない。ただ、ディスカッションと模擬国連という議論するサークルで扱っただけ。
大学では議論するだけ、社会人になったら考えようとすることもしない。問題は存在しているのに。こんな無責任な自分は国際問題を語る資格があるのか、と考えさせられた。語らないのも嫌、でも語ったとしても何も出来ていない。このことを忘れてはいけないんじゃないか、その問題があることを忘れてはいけない。議論をすることを遊びにしてはいけないと。
自らの正当化にすぎないのかもしれないけど、罪悪感を持って議論する必要がある。自分の時間や資材を投げ出せないなら尚更。
思うことがあったり、良いと思ったり、反論があったり、おかしいと思うことがあったり、質問があったり、言いたいことがあったり、同意があったりしたら反応をして頂けると幸いです。なるべくというより出来る限り私も反応します。
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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。