総合職共働き人事コンサルのブログ

こひやまの3月11から12日の足取りと気持ち・新宿から中野そして、千葉へ~2011年3月11日、東京も自分も考えるきっかけとなった日 Part3~

 今回の出来事。これからも続いていく出来事だけど、いろいろ思った。不謹慎と思われる内容もあるかもしれないけど、いろいろ綴っておこうと思う。今、思っている事だし、時間によってなくしたくないことだから。書いておくことが大切だと思う。たとえ、自己満足であっても。自己満足以上を目指す。3つ目。
 11日から、12日に家に帰るまでの足取りと考えていたこと避難の途中と帰って来てから綴っていたので書き写そうと思います。写真もかなり撮っていたのでアップします。
 2011.3.11 15:00ぐらい。就職活動のグループワークが終わり、社員の方への質問タイムも終わりが近づいてきた中、軽いゆれが起こった。会社員の2人のうち1人はドアを開けた。「ゆれてる」と人事の方2人は新宿のとあるビルの6Fの会議スペースでゆれがおさまるのを待っていた。いつもの軽い地震だろうとこひやまも他の人も思っていた。が、体感で10秒、15秒たってもゆれがおさまらない。人事の2人の中で年長の方が「ちょっと部屋の外に出ようか」と言い、私たちも立ちあがった直後、はげしい横ゆれが始まる。縦にもゆれているような気もした。ビルの下で何が起こっているのか。と思う。体が左右にふられる。体感した事のない揺れへと変わっていった。廊下に出ても揺れはおさまらない。置いてあったラックが倒れそうになる。隣の部屋では講習を行っていたけど、その部屋に居た人も出てきた。女の子は「怖い」となり、グループワークをやっていた自分を含めた4人の就活生の中の1人の子は少し、パニック気味だった。ジェットコースターが苦手らしい。そんな中で激しい揺れが20秒ぐらい続いたように感じた。もちろん、エレベーターは止まっている。
 会社の方にうながされ、階段から下りていく。降りながら携帯をいじるけとネットには全くつながらない。下りて行った先では騒然。ビルの前に50人ぐらいのひとだかり、地震の話を6人で少しした後、クロージング。1週間後までに選考の発表があるらしい。けど、手帳に書ける状況ではない。軽いパニック状態。会社の方はビルの中に戻り、様子を確認するらしい。その後、4人で話している中、スマートフォンを持っている人が震源地を確認してくれた。そしたら、最大震度7という衝撃とその近くの出身で、今日、夜行バスで帰るらしい。電話もつながらない。とりあえず、18:20から地元で塾講師のバイトがある。どうしましょ。と思いながら、残りの3人に「お疲れ様でした」と言って別れて、新宿駅に向かう。東南口が物凄い人だかり。スクリーンにNHKが映し出され、300~500人のひとだかりがそれを見ている。
縦 新宿 下から
 異常事態であることを改めて確認。エスカレーターの上も下も人だかり。


 電車もすべてストップの情報。とりあえず、家へ一本で帰る事の出来る東西線の九段下駅まで歩こうと決心し、動き出すが、全く進まない。南口前に来るとこっちも大混乱。


 人だかりの中で結構大きな余震。信号がたわんでいる。なぜか、注音分離帯に集まる人も居る。安心だからかな。

 念のため大江戸線へ行く。トイレも行っておく。目安だと言ってるけど、駅員の人が復旧まで1時間ぐらいかかると話している。

 駅構内では無力感も広がる。


 1時間ぐらいで九段下に歩いて着いて電車で帰れると思って歩き出した。バスには既に物凄い行列。

 東京バスの車まで出動。大丈夫か?

 ティッシュ配りやHISの袋配りのバイトは続いている。日常と非日常が混じっている違和感。

 母に「無事だよ~」のメールを送るも返事無し。「メールして」のメールが遅れて届く。込み合っていたんだ。再度「大丈夫メール」を送る。とりあえず、一安心。途中、ヘリが頭の上を飛んでいる。報道かな。なんとも言えない気分。

 大久保駅前まで来て、昼ご飯を食べていなかったことを思い出す。駅前のうどん屋でうどんを食べる。旨い。ねぎと天かすたくさん。気を取り直して歩き出す。でも、人がどんどん居なくなる。そして、どこを歩いているのか分からなくなる。かなり歩くと東中野駅周辺だということが分かり、行ってみる。中央線も大江戸線も復旧の見込みなしというアナウンス。今頃、大江戸線新宿駅の駅員さんは大変だろうな。と少し頭をよぎる。
 らちがあかないので、使い慣れ、少しは知っている中野駅を目指す。東西線も通っているし。いつかは行きたいと思っていた単館映画館「ポレポレ東中野」を見つける。良い事もあった。
 中野駅には迷わないように線路沿いを歩く。30分ぐらい歩いたら着いた。電車なら2分とか3分とかなのに。途中、中央線の線路の安全確認をしている人をみつける。

 頑張ってくれ。中野駅は、さながら、殺人現場のように出入り禁止のテープが張られている。復旧の見込みはたってないとの話。でも、今日中には動くと思って時間をつぶそうと思う。

 バスには長蛇の列。ケータイを見ると塾長から今日は授業が出来る状況ではないという事で休講の連絡。塾の写メも送られてきた。これは凄い。

 これで、どうにかして早く帰る理由もなくなった。なので、どこかで2時間歩いた体力を回復しようと思い、マックに入る。マックフルーリーを買い、机へ。そこでこれを書き始めた。入ったのが16:59。17:13、17:20に余震。17:42には少し激しい余震。余震が来るとみんな回りを見渡す。そして、目線を合わせる。目の前にヨーロッパ系のおばさんが居て、目を合わせたら「ニカッ」と笑う。
 明日は塾もあるし、社長面接もある予定。どうなることやら。帰っていろいろ確認しよう。家に帰りたいけど、自分の部屋に入るのが怖い。どうなってるんだろう。
 マックで一人、考える。なぜ、こんなことが起こるのだろうと。分からない。意味はないかもしれない。自然現象だから。でも、あると考える。その起こった理由をそれぞれが考えるべきなのかもしれない。自然の怒りという解釈はありきたりなのかもしれあい。でも、そう思わざるを得ない気がする出来事。なんでこんなことが起こるんだろう。交通はマヒし、人間は支配している自然にこれだけ大きな影響を受けるんだ。ということに気付く出来事だった。というか、夢のような気分。でも、夢じゃない。
(ここまでがマックで書いたもの。)
(ここからは避難所で書いています)
 そろそろ動くかな。と思って行った中野駅。絶望的な現実に。「本日JRは運転致しません」という決定が出たらしい。東京メトロも多分、そうなるんじゃないか。とのこと。しゃれにならない。財布の中には200円。カラオケにも泊れない。駅前で「居酒屋 万喜」という店の人がスープを紙コップに入れてタダで配っている。わざわざ簡易コンロと寸胴を持ってきてる。すごい。暖かくなり、泣きそうになった。


 んで、とりあえず、中野サンプラザのロビーへ向かう。電気もついていて暖房も。階段や地面に座り込む人。
 帰れないし、お金もない。どうしようという中、ロビーで避難所の案内をもらって、中野区立中央中学校へ。東葉高速鉄道が終日動かない事が分かり、宿泊決定。
 なんていうんだろ。不思議な気持ち。今晩だけだと思うから、そんなに怖くないのかな。避難所。おばちゃんは何人か集まっておしゃべり。おじちゃんは早く寝る。でも、暖かさがある。この環境では誰も自己中になれない。こんな状況が好ましいとは言えない。でも、人をつなげることもあるのかな。被災の中心地じゃなくて、東京に居るからこう思うのかもしれないけど。
(ここまでが避難所で書いた事)
(ここから、帰宅後に書いた事)
 避難所の写真も撮りました。でも、1枚だけしか撮れなかった。緊張で手がぶれたことと、ここで写真を撮る事の躊躇。だけど、撮らないといけないと思って撮った。理由は分からない。

 んで、続き。毛布と固いシートが提供されていた。11:00から寝ようとしたけど、地震警報のアラームが鳴る事と、電気がつけっぱなしなので寝れない。まあ、1:00ぐらいから4:00ぐらいまでは寝れたのかな。
 4:00に起きてボーッとする。事実である事を再確認。携帯の電源をつけてみると、メトロの一部は動いたらしい。でも、廊下の職員に聞くとJRの運転のめどはたってないと聞く。でも、とりあえず、寝れないし、中野駅に行ってみた。4:30にお世話になった部屋を出る。
 シャッターが下りていて、入れない。多分、中野の東西線も動いてない。東中野に大江戸線が走っていた事を思い出し、行ってみる。また、30分ぐらい歩く。歩いていると、他にも歩いている人がいる。やっぱり帰りたいんだよ。
 なんとか5:00ぐらいに東中野に着くと動いているらしい。5:15始発だけど、5:30に来た。1本前は確認列車だった。門前仲町まで行き、そこから東西線。見事に西船橋まで動いていた。今までにない込み具合。無表情な中にもやっと帰れるという、少しの希望がそれぞれにあった。
 西船橋に着くと東葉高速線も動いていて北習志野まで。飯山満を過ぎたあたりの船橋芝山高校で半旗があがっていたのが妙に焼き付いている。半旗じゃなくて、ただ、上げてたのがしっかり上げられてなかっただけ間も知れないけど。
 7:30に家に到着。ご飯を食べて、メールで言っておいて沸かしておいてもらった風呂に入る。やっと帰ってきた。そして、部屋はこの状態。本当に長い一日だった。2011年3月11日15:00から12日7:30までの物語。でも、色々考えた一日。ポジティブに考えよう。

 とにかく、2011年3月12日7:30に帰宅。この日の話は
「2011年3月12日に自分は何をすべきだったのか<就職活動とバイトに行った自分>~2011年3月11日、東京も自分も考えるきっかけとなった日 Part1~」
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-439.html
まで。

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。