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「ノット・ギルティ」と「ギルティ」≠「無罪」と「有罪」になってしまっている・・・~郷原 信郎『特捜神話の終焉』~

この本の中で一番興味深かったのが「ノット・ギルティ」の話。少し長くなりますが、引用します。

P175 細野 「有罪」と「無罪」この言葉も分かりづらいと私は思います。英語では「ギルティ」と「ノット・ギルティ」です。「ノット・ギルティ」は「有罪ではない」ということです。グレーも含めて「ノット・ギルティ」です。
郷原 クロでなければ、無罪ということですね。シロであることを証明する必要はなく、クロでないことが確かであればいい。
細野 そうです。そして、刑法上はそれしかないわけですよね。しかし、社会通念上はそうではない。「ギルティ」と「ノット・ギルティ」は証拠に基づく有罪立証ができるかどうかの刑法上の意味を持つに過ぎないにもかかわらず、社会は「ギルティ」=悪人、「ノット・ギルティ」=善人と思っているのです。
だから、社会は悪そうな人には有罪判決が出なければ納得しませんし、反対に有罪判決が出ればその人は悪人と決まってしまうのです。そこで、特捜部が出てきて逮捕でもしようものなら、何も悪くない人を捜査するはずがないと社会は思っていますから、その人は悪人で、有罪に決まっていて、そして、そのとおり有罪判決が出るものですから、やっぱりその人は悪人ということになるのです。

考えない人、考えないように操作できるマスコミ、作られた二元論、そして、マスコミの崩壊など、いろんな話につながるように感じる。テレビ・新聞は有罪だったら悪と報じ、それがくつがえったらその人はヒーロー扱い。厚生労働省の村木厚子さんの例の際にそれが顕著に見て取れる。テレビだったら、ナレーション、コメンテーター、司会、音楽などを使い、新聞だったら言葉の言い回しによってイメージは簡単に作れる。
「会合」と「話し合い」と「密談」と「語り合った」では受け取る印象は全く異なる。しかし、同じ状況であっても、上の言い回しから選択するのは簡単にできるだろう。
また、「ギルティ」か「ノット・ギルティ」かという意味で使われるべき「有罪」と「無罪」が「怪しくない」か「怪しい」に置き換えられ、「善悪二元論」になってしまうのは今も変わっていないのかもしれない。容疑者はとにかく容疑がかかっただけの人であり、いろんなことが絡み合っていることは忘れてはいけない。そんなことをしっかり見つめ続けないと勝手な理解で終わってしまう。それを自覚し、ニュースに向かい合わないといけないと再確認した。
そして、この問題は忘れ去られてしまっている気がする社会。頭の片隅に置いておかないとまた、被害者が出るし、自分が被害にあうかもしれない。
1、この本から学ぶ特捜についての基礎と改革案
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-720.html
2、ライブドア事件と堀江貴文への検察の目線
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-732.html
3、マスコミと検察
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-739.html
4、会計と検察、1つの世界では・・・
http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-entry-743.html
5、「ノットギルティ」と「ギルティ」≠「無罪」と「有罪」になってしまっている・・・

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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。