総合職共働き人事コンサルのブログ

「わたしの質問がもし不快であるなら、すぐにこのインタビューをやめます」、「私たちテレビ・新聞の取材に不満があったらそれも話して頂いて構いません。」と言う力を。~2011年3月11日、東京も自分も考えるきっかけとなった日 番外編~

今回の出来事。これからも続いていく出来事だけど、いろいろ思った。不謹慎と思われる内容もあるかもしれないけど、いろいろ綴っておこうと思う。今、思っている事だし、時間によってなくしたくないことだから。書いておくことが大切だと思う。たとえ、自己満足であっても。自己満足以上を目指す。
このブログ。漂流生活的看護記録「危機介入」http://eboli.exblog.jp/d2011-02-27/
今日、11時頃からRSS1ヶ月分見返していると、まあ、放置は良くないということを再確認したのですが、今の出来事に重ねるブログを見つけました。NZ地震の被害者に「足切断されてあなたもうスポーツ出来ないけど、どんな気持ち?」とインタビューした事を指摘していて、その中で海外のマスメディアのインタビューについて書いていました。以下、長いですが、引用します

うちの相方が先日見ていたBBCの番組で、何か事件だか事故だかの被害者にインタビューしている番組があったのだが、その中でインタビュアーが「わたしの質問がもし不快であるなら、すぐにこのインタビューをやめます」と念を押しながら質問をしていたのが印象的だったと言っていた。さすがにタブロイド紙ですら「容疑者」の段階では敬称をつけて報道する国なだけあるなとは思ったのだが、わたしもアルゼンチンのTV番組である事件の犯人(とされている人物)を「セニョール」と呼び「回答を誘導したり名誉を傷つけるおそれがあるなど、質問が不適切であると思われたらすぐ言ってください、エントレビスタ(インタビュー)はそこで終わらせます」と、聞くアナウンサーを見たことがある。多くの日本人が発展途上国の詰め合わせだと思っているようなラテンアメリカの国の報道ですら、その程度の良識は弁えている。

さて、今回の地震。そういうことを聞く日本人の記者、キャスター、インタビュアーは居るのかな。地震発生時には安否が分からなかったけど、無事だと知ったお父さん、ガレキを見て、知事はなにしているのか。と憤る人。お父さんと連絡を取れてよかったと泣く女の子、家がぺしゃんこになっているおじさん。いろんな人にインタビューをしている。
この時に「わたしの質問がもし不快であるなら、すぐにこのインタビューをやめます」と言えるのか。そして、もう一つ。「私たちテレビ・新聞の取材に不満があったらそれも話して頂いて構いません。」と言い、それを流すことは出来るのか。
今回の報道、様々なインタビューをしているし、それを流している。小檜山は可能なかぎりテレビを付け、見続けているけど、テレビの批判は一切されていない。というより、流されていない。この状況でメディアの批判を流す必要はないということなのか。でも、被災者の行政の批判を流すならメディアへの批判も流すべきじゃないのか。そろそろ他人から自己への批判をテレビ局も受け入れる必要がある時期じゃないかな。
特に、この出来事によって、報道は様々な形で例外を適応している。災害時報道は通常の報道とは異なる。人の心に強く迫る。というよりも、強く迫ることをよしとする。でも、その例外が、人を傷つけていないのか。本当にふさわしい報道なのかということをテレビ局自身が自己と他者の意見を踏まえ、考える時だ。
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小檜山 歩

コンサルタント日系総合コンサルティングファーム
渋谷のITベンチャー→日系人事コンサル。会社ではコンサルしながらCSRの活動もしてます。いろいろ無秩序につぶやきます。2017年5月から1年間タイでトレーニーとして働いてました。今は帰ってきて日本で働いてます。